Profile

【トルマンブログ自己紹介】 不器用なりに下した決断

 

今後もし、自分の発信内容に興味を持ってくれるような人が現れた時のために自己紹介を書いてみようと思った。

 

ほとんどは自分の生い立ちに関する内容になっている。

全部読むのは苦痛だと思うので最後2項目だけでも読んでもらえるとありがたい。

では早速書いていく。

 

トルマンブログのタイトルとペンネーム

まずブログの名前について。

同年代の働く男性向けてにボティメイク、メンズ美容、仕事関連のガジェット紹介をしようと思って、ジェントルマンをもじったのが由来。

名前のYasuは本名の一部。

誕生から保育園時代

生まれは1993年。九州の宮崎出身。3歳下に弟が1人いる。

さすがに昔すぎて覚えていないので幼少期の出来事について母親に聞いてみたところ、とある日、保育園用のカバンに大量のセミの抜け殻を入れて持って帰って母親を絶叫させたことがあるらしい。両親ともに共働きで保育園の迎えはいつも遅くて、親が迎えにきても遊びに夢中で保育園から連れ去るのが大変だったんだと。

 

小学校時代

それまでは家族4人で貸家に住んでたんだけど、小学1年生の時に家の事情で父親の実家に引っ越すことになった。そのタイミングで古かった家をリフォームすることになるんだけど、大工さんが仕事しているところを見てしばらくの間、将来は大工さんになりたいと思っていた。2年生くらいのタイミングで家の隣に横浜から同い年の友達が引っ越してきて、小学校時代はその子とよく遊んでいた。最初はその子の標準語を聴きながら変な話方やなーと思っていた。どう考えても逆。

3年生からは父親の影響もあってバドミントンを始めて、高校卒業するまでの10年間本気で続けた。家族で隣県の鹿児島、熊本に何度も遠征に連ってもらった。習い事はその他にもやっていて習字を6年間、夏だけ水泳。父親が運動万能だったので運動系の習い事を始めたのは父親の影響が大きかった。学校はどんな感じだったのかというと、6年生の時は運動会の団長をやったり、所属していたバドミントンのチームでもキャプテンをやったりしていて、人前で何かをするのは結構好きだった。

スポーツの時の父親は死ぬほど怖くて何回もしばかれたけど、好きなものも意外と買ってもらえた。ハマったのはゲームだと、ポケモンのシルバー、サファイヤ、ドラクエ8、どうぶつの森でカードゲームは遊戯王とデュエマ。友達とのデュエルの時に段ボールで作った千年パズルを首から下げて海馬の真似で「貴様のターン」とか言ってた。

 

中学時代

入学直後同級生の双子の妹に恋をした。自然消滅した。

小中高バドミントンを本気でやってて一応県では1位になったりすることもあって、学校では「バドミントンが強いヤツ」みたいな立ち位置だった。それもあり学校で話す友達は多かったと思う。対する勉強はどうかというとテストの順位はいつも真ん中あたりをうろちょろしていて全然ダメだった。親はある程度勉強にも口出しをしてくる人だったけど、バドミントンをやる方が優先度が高かったので全エネルギーをバトミントンに集中した。

1年の時は木村カエラとAvril Lavigne、3年でPerfumeの音楽にどハマりした。当時、下敷きを自作できるやつが売っていて、好きなアーティストの切り抜き写真を挟んだ下敷き友達に見せびらかしてたりしてた。Perfumeにハマった時、当時家のネットがダイアルアップ式で従量制の支払いだったことを知らずに公式ブログを夜通しで読んで、翌月ネットの請求額を見た母親にめちゃくちゃ怒られた記憶がある。

中学3年の秋に家にWindows7が搭載されているノートPCがきたのと友達の影響もあってYahooブログを始めた。全く知らない人とコメント欄でやり取りをするのが楽しくて中学卒業まで続けた。高校進学は当時Perfumeの新曲のPVがカッコよくて、自分もPerfumeのためにこんなPVを作りたいと思ってパソコン系のことが勉強したかったのと、ITに関して勉強できる学校でバドミントンが強いところがあったので、隣町の工業高校を推薦受験で合格。受験勉強は全くしなかった。

 

高校時代

学校が家から遠くてほぼ毎日自転車で片道1時間かけて通学してた。部活が終わるのが21時近くでよく自転車で眠りかぶりそうになりながら帰宅してた。体力と忍耐力に関してはこの3年間でロックリーぐらい鍛えられたと思う。

工業高校ということで同級生の7割くらいは就職する中、親から大学に行くように言われていたのもあり、進学コースに入った。進学コーツは朝の課外授業があって毎日ぎりぎりに登校していたけど、授業を受ける体力はなくて授業中はほとんど寝てた。

高2の時の就学旅行で当時の担任が海外旅行が好きな人で自分の年だけ国内旅行と海外旅行を選択できた。最初は海外旅行なんて全然興味なかったけど、その先生の海外旅行話が魅力的で、結果海外旅行を選んだ。場所は香港とマカオ。全てが日本とは違すぎて衝撃だった。香港のビクトリアピークで現地のiPhoneを持った学生に英語で写真撮ろうって話しかけられた時にシンプルに「iPhoneと英語かっけぇ」って思ったのを覚えている。この時は考えもしなかったけど、この時の体験はその後の自分の人生に結構大きな影響を与える。

高3で夏の大会が終わって以降、本来は受験勉強をする時期なんだけど、学校が終わってからは友達と釣りに行ったり、サッカーをしたりしていた。学生生活15年間の中でこの時期が一番楽しかった。受験は愛知県の大学を指定校推薦(よほどのことがない限り落ちない受験方式)で受けて合格。愛知を選んだのは東京と大阪の間にある大きな街だからという今考えると謎な理由。

 

大学時代

1年の時は親が心配してか学生寮に入寮した。寮の部屋順は学科順で大学の敷地内だったこともあり、最初の数ヶ月間はずっと同じメンバーで行動していた。高校までの学生生活はバドミントンが強いやつということで自分の立ち位置みたいなものをふんわりと感じていたけど、バドミントンは大学入学のタイミングでやめたので、最初何とか自分の居場所を作ろうと思っていろんな人に声をかけたけど、空回りした結果、誰とも仲良くなることができず孤立した。学生寮は1年経ったら退寮することが決まっていたので2年から一人暮らしを始めた。これまで真剣に勉強をしてこなかったので勉強方法がわからなくて、1年の時は授業でわからないところは講義外に先生に質問したりして自分なりに真面目に勉強をしていたけど、2年生の時はプログラミングの授業についていけなくなったのと、孤立していたのもあって完全に落ちこぼれた。当時お酒の量販店でバイトをしていたものあって酒に現実逃避した。酒と夜中の超大盛ペヤングで1年間で25kg激太りした。

そんな中でも、このまま学生生活を終えるのはまずいという気持ちがあった。大学時代で何かチャレンジしてみたいということで、高校生の時の海外留学のこともあって海外で英語を勉強をしたいということを親に相談した。もちろん海外留学なんて大金がかかるし最初は無理だと言われたけど、自分なりに説明をして了承してもらった。

 

語学留学

大学を1年間休学してフィリピンとカリフォルニアに合計1年間語学留学した。語学だけを学ぶために留学をさせてくれた両親にはマジで感謝している。語学留学は本当に良い経験になった。何とかして英語を話せるようになりたくて、積極的に海外の友達に話しかけた。この時キャプテン・アメリカの映画をみて、ガリガリの主人公が実験装置から出てくるシーンがカッコよくて本格的に筋トレを始めた。この後も筋トレは継続して通っている。ホームステイのおばさんと大喧嘩して家から追い出されたり、海外の友達とは文化の違いで喧嘩もたくさんしたけど、自分の体験を通して言語の壁を超えた友情って本当に存在するんだなって認識できた。英語に関しては日常会話で困らないくらいまでは話せるようになった。帰国後は復学して相変わらず孤立してたけど何とか卒業した。

 

フリーター時代

学生の時に会社員として働くのが嫌すぎてまともに就活をしなかったのが原因で新卒での入社はできなかった。4年の時に3社だけ入社試験を受けたけど、全部面接で落ちた。卒業後はヤマトで荷分けの仕事をしていた。ジムでのトレーニングとこの時の肉体労働もあり、激太りしていた時から20kg痩せた。半年くらい経過した後、流石にこのままではまずいと思って別の仕事を探した結果、名古屋でたまたま見つけた英語が使えるアルバイトを始めた。業務内容は英語と日本語半分半分くらいで日本語の電話対応にめちゃくちゃ苦労した。元々口下手というのもあり、家でも結構練習した。

 

会社員時代

英語が使えるバイトの仕事にやりがいを見つけて仕事は真剣にやった。

会社の仕事とは別だけど、そんな中Youtubeでたまたまマナブさんのチャンネルを見つけて、個人で情報発信をしながら生きていくスタイルに感銘を受けて個人ブログを立ち上げる。

会社では入社から2年くらいのタイミングで社員に登用することができて、本当にいろんなことにチャレンジした。業務内容はゲームのカスタマサポートの請負の仕事で、幸運なことにゲーム会社なら誰でも聞いたことのあるような企業の担当をさせてもらえた。途中1年半くらいの間、終電ギリギリみたいなことが続いて精神が崩壊したこともあったけど、下記のような組織で働く上での基本みたいなことは一通りやらせてもらえた。

  • クライアント報告/提案
  • 海外チームとの業務改善
  • 採用面接
  • 20人規模のチーム管理
  • 売上管理

社員登用から1年くらい後に新潟に転勤した。約1年くらいの間新規拠点の立ち上げ業務をやった。この会社では本当にいろんなことをやらせてもらえた。

 

退社

会社の経営方針と個人的な理由で2022年7月末に退社した。会社で仕事を続ければ生活していくことはできたけど、会社員時代から情報発信を基に生きていくことにどうしてもチャレンジしたくて退社をすることを決意した。普通は自分の活動である程度の生計が立てれるようになってから辞めるのが一般的ではあるけど、仕事柄長時間の残業体質もあり、なかなか発信活動に注力することができなかった。

このままやりたいことにチャレンジせずに老いていくのは死んでも嫌だったので悩んだ結果退職を決断した。

 

現在

で、今この記事を書いているのは退職した翌月の8月。まだ記事数も全然少なくてこの状態で会社を辞めるなんてどう考えてもベストな判断ではないけど、何とかするしかない。貯金額の兼ね合いもあり期限は半年間。2023年の1月までに収益化する兆しすらなかったら、キッパリ再就職する。他の発信者を見て、半年間で収益化することがどれほど難易度が高いのかは理解はしているつもり。

 

このブログの発信内容

主に「ボディメイク」と「ガジェット紹介」をテーマに情報発信をしていく。ボティメイクは自分が筋トレで20kg痩せることができた体験を通して、食事生活と健康改善をメインネタとしてとりあつかっていく予定。ガジェットは自分が実際に使って気に入ったものと、気に入らなかったものを忖度無しでレビューする。内容はしっかりとした質のものを発信していきたいので2日に1記事の頻度で投稿する。

 

ということで今後ともトルマンブログをよろしくお願いいたします。mm